X
    Categories: CELEB

【訃報】デザイナー高田賢三氏「新型コロナ感染」で死去…パリ市長 「パリが泣いている」


去る4日、「KENZO」ブランドで世界のファッション界を先導し 革新的な服づくりで世界的に活躍したファッションデザイナーの高田賢三さんが 新型コロナウイルス感染のため、パリ郊外の病院で死去したことを フランスメディアにより報道されました。兵庫県出身。81歳でした。

point 0 |
asahi.point 56 | com

文化服装学院在学中に「装苑賞」受賞。文化服装学院を卒業後、1965年に貨客船でフランスに渡り、修業を経て70年にパリにブティック「ジャングル・ジャップ」を開いて最初のコレクションを発表。その中の1着が雑誌「ELLE」の表紙を飾るなど、たちまち注目を集めました。「高級既製服」の草分けの一人とされます。point 209 | 1

ADVERTISEMENT

 

新たな概念の「ポシェット」を創作、 重ね着ルックなども提案、仏政府から勲章も…

直線と面で作る民族衣装の発想を洋服に取り込み、独創性でパリモードの常識を破ったといわれます。直線裁ちの大きな服で新鮮な印象を与えた。夏物にだけ使われていた木綿を、秋冬物にも使ったり、タブー視されていた原色づかいや、花柄と縞(しま)の組み合わせで注目されました。華やかな色彩、大胆な柄の組み合わせ、民族衣装からの着想、重ね着などを想像力豊かに展開。70年代前半には人気デザイナーとしての地位を確立しました。point 246 | 1

ADVERTISEMENT
fashionpost.jp

ショーのあり方も、自分の店の中で衣服ごとの番号札を持ったモデルが1人ずつ歩く形態から、大会場で音楽を流し、何人もが同時に踊り、練り歩く姿へ変えたり、ハンドバッグでもショルダーバッグでもない「ポシェット」を作り出し、重ね着ルックを提案しました。

ADVERTISEMENT

93年に「ケンゾー」の社長を退き、株式もルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシーグループに売却。その後は契約デザイナーを務めましたが、99年に60歳で退社しました。仏政府から勲章を受章。日本では 78年に6大都市縦断ショーを実施。85年毎日ファッション大賞、99年紫綬褒章などを受けました。

ADVERTISEMENT
point 0 |
elle.point 55 | com

高田さんの死去を受けて、パリ・コレクションを主催する「仏オートクチュール&モード連盟」のラルフ・トレダノ会長は、「その独創的な裁断や多文化からの着想、エキゾチックなプリントで、賢三は紛れもなく、西洋と東洋の融合という、ファッションに新しいページを加えることに貢献した」とコメントを出しました。point 204 | 1

ADVERTISEMENT

 

パリ市長 「パリが泣いている」 日本を代表する世界的なブランドに…

パリ在住ジャーナリストの鈴木春恵氏は…
《この悲しいニュースは、『ル・モンド』『ル・フィガロ』などの現地フランスメディアでも速攻でとても大きく報じられています。パリ市長のアンヌ・イダルゴさんも早速ツイッターで「計り知れない悲しみです」から始まるコメントをしていて「パリが泣いている」とも書いています。周囲の友人たちの反応を見ても、もしかしたら、彼ほどフランス人に愛された日本人はほかにいないかもしれない、と思わせるほどです。私自身、仕事を通じて何度かお目にかかる機会を得ましたが、わけへだてなくいつもの笑顔で接してくださる、清らかで広いお心を感じました。謹んでご冥福をお祈りいたします》point 329 | 1

ADVERTISEMENT
point 0 |
pinterest.point 60 | jp

甲南女子大学教授の米澤泉氏は…
《花柄、カラフルな色彩、世界の民族衣裳を取り入れた独特のフォークロアファッションで、高田賢三さんは、70年代から90年代にかけてのパリコレをリードし続けてきました。切れ長の目と黒髪が印象的なミューズ・山口小夜子さんの神秘的な魅力も相まって、KENZOは、日本を代表する世界的なブランドになりました。KENZO売却後も、アテネオリンピックのユニフォームをデザインするなど幅広く活動され、近年はラグジュアリーホームウェア&ライフスタイルブランドを手掛けていました。新型コロナウイルスはまた一つの貴重な才能を奪ってしまいました。本当に残念でなりません 》point 350 | 1

ADVERTISEMENT

その他にも 多くのコメントがよせられているようですが…

《このウイルスがどれだけの才能を世から奪ったのか、その損失を考えるとやはり初動が悪かった責任は誰かにあって、そこを追求して欲しい思いは強くなります》

ADVERTISEMENT
AFP時事

《コロナ前にぴったんこカンカンで香川照之さんと安住さんで訪問されてた自宅が素敵すぎてこういう場所で感性を高めるんだと感激していたのですが……悲しいです。お悔やみ申し上げます》

ADVERTISEMENT

《80年代後半から90年代にかけてKENZOのショップに勤めていました。新しいコレクションが発表される度に早くお客様に紹介したくて、仕事がとても楽しかった事を記憶しています。あんな時代はもう訪れないとは思いますが、奇跡的にもあの空気間を経験できた事を感謝したいです。KENZOさんの生み出すファッションあってこその私の青春でした。本当にありがとうございました 》

ADVERTISEMENT

等など、多くの お悔やみと感謝の声がよせられていました。