世界には信じがたい事件事故というものがあるものですが、韓国で発生した三豊百貨店の崩壊事故は世界中に衝撃を与えました。このケースは、日本では信じられないほどの手抜きに次ぐ手抜き、そして、数多くの不正が行われ、しかも、事故の当日、適切な処置をしていれば崩壊こそ避けられなかったものの、これだけの被害者を出すことにはならなかったという事実もまた衝撃を与えるだけでなく、韓国国内で頻発した大規模な事故と相まって、多くの人にその記憶は刻み込まれています。どうすればこんなことになるのか、多くの人が知っておき、反面教師にする必要があります。
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当初、三豊百貨店として建物の建設が始まったわけではなく、オフィスビルとしての建設が予定され、地上4階、地下4階にする予定でした。しかし、建設の途中で5階建てのデパートにすることを決め、結果として三豊百貨店が誕生します。しかし、この時に請け負っていた建設会社はその危険性を認識しており、直後に、施工業者が三豊百貨店と同じ経営母体である三豊建設産業が担当します。危険な計画の変更は続き、防火シャッターを設置するために、ビルの柱の一部を削る、吹き抜け構造のエスカレーターを設置するために柱を補強するべきところを見た目を重視して予定の太さから削るなどのことをしました。 com
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支えてくれる柱の力が弱まっただけでなく、1フロア分増えたこと、給水タンクが設置されたことで本来の計画における柱ですら支え切れない状態であったにもかかわらず、さらに削ってしまったため、支えきれずに崩壊するのは当然とも言える状況でした。これに加え、ローラースケート場の建築許可を得ておきながらレストラン街に不正に変えてしまう、大型の冷房装置をつけて5階の屋上などにヒビを入れさせる、許可も得ず、勝手に地下に売り場を増やす工事を行い、さらに強度を弱めさせるなどのことをした結果、崩壊せずにある程度の期間残っていたことが奇跡とも思える状況となりました。 tistory. com
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崩壊の前日、一部の従業員は天井のひび割れに気付き、当日の朝にはそれが大きくなっていることを上司に指摘しました。ところが、この状況にもかかわらず、経営陣は営業の開始を決め、昼に会社に呼ばれてやってきた建築士が見たところ、閉店後の補修で問題ないという過小報告をして、営業をし続け、経営陣は崩壊の直前に脱出、避難命令など何もせぬまま、三豊百貨店は崩壊し、当時店にいた店員やお客さんなど1000人以上が被害に遭い、500人以上が犠牲となりました。こうしたことからもわかるように、三豊百貨店の崩壊は人災であることがわかります。 kakao. com
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後に裁判となり、三豊百貨店の幹部の数名が懲役刑を受け、会長に至っては全財産を没収されるほどの厳罰となりました。また、賄賂を受け取っていたとして、当時の区長が逮捕されるなど、大問題に発展します。一方、同じ時期に建設されたマンションに対する根強い不安からマンションの価値が下がり、手抜き工事を心配する声が上がりました。これはこの時期に手抜き工事による橋の崩落などの事故もあったためであり、事故後に韓国国内のビルなどを調査した結果、ほとんどのビルが何かしらの欠陥を抱えるという衝撃的な結果が出てしまいました。 wikitree. co. kr
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こうした事故があっても、韓国では同じような背景を持つ事故が目立ちます。安全に対する意識があまりにも低く、事件事故を想定していない体質は今も続いています。そして、経営者たちが無謀な計画を遂行し、最後の最後にそこから抜け出して自分たちだけ助かるという姿勢は今も残されています。そうした意味において、この事件は決して忘れてはならず、誰もが覚えておくべき出来事です。 daum. net