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糸井重里の徳川埋蔵金発掘プロジェクトは結局どうなった?


糸井重里さんといえば、釣り番組などによく出てきており趣味が釣りであることがわかる以外は、今ひとつどのようなことをして生計を立てている人なのかなぞと感じる人も多いでしょう。クイズ番組やバラエティー番組に出てくるわけでもなく、小説などを書いているわけでもありません。
あまり知られていませんが、糸井重里さんの本業はコピーライターになります。厳密に言えばコピーライター以外にもエッセイや作詞活動を精力的に行う人物になります。そのうえで埋蔵金発掘の中心人物としても知られており、当時埋蔵金発掘のテレビ番組で糸井重里さんを知った視聴者も少なくないです。

 

糸井重里さんが作ったコピーは有名


写真:SYNODOS

糸井重里さんの本業の一つにコピーライターの仕事がありますが、実は私たちが知っている有名なキャッチコピーの中には糸井重里さんが作ったものも多く、その事実を知っている人はあまりないでしょう。

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写真:hiroetanabe.net

例えば、毎年8月に日本テレビで行っている24時間テレビのテーマは「愛は地球を救う」ですが、これは糸井重里さんが作ったコピーになります。

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写真:minkara.carview.co.jp

一昔前日産のセフィーロが発売されたときにキャッチコピーとして「くうねるあそぶ」がありましたが、実はこれも糸井重里さんが作った作品になります。
テレビコマーシャルをしていたことから40代以上の人であれば一度は耳にしたことがあるでしょう。

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このように、人知れずコピーライターの仕事をしては多くの人の耳に残すようなキャッチコピーを作っており、現代における功績は非常に大きいものになります。


写真:NAVER まとめ

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そんな表舞台に出てこないコピーライターの糸井重里さんは1990年代に徳川埋蔵金のプロジェクトに参加した一人として有名になりました。

徳川埋蔵金は、現在のところ発見されていませんが、当時は群馬県の赤城山に埋められたとのうわさがあり、実際にそれを裏付ける証拠もあったため大掛かりな発掘作業を行ったことで、多くの人の関心を集めたのは記憶に新しいところです。
結果的に埋蔵金は出て来ていませんが、その発掘の過程こそが男のロマンだったといえるでしょう。

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埋蔵金発掘からわかったもの


写真:ジャパンアーカイブズ

埋蔵金が埋められたとされるのは、およそ150年ほど前の1868年になりますが、当時の日本の状況は江戸幕府が滅び明治時代になったばかりの頃でした。
江戸城は無血開城し、薩摩藩や長州藩をはじめとする新政府軍に明け渡すことになりましたが、その時江戸城にあった大量の黄金はそのままの状態にせずどこかに隠したといわれていました。

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写真:草の実堂

当然埋蔵金ですので公にされていませんが、少なくとも金360万両もあったとされており、


写真:XTREEEM

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現在の価値にするとおよそ200兆円といわれています。

現在の日本の国家予算がおよそ90兆円ですので、発見されればもう一度日本の景気をよくすることができるカンフル剤になることは間違いないでしょう。

群馬県赤城山に埋められたとされる徳川埋蔵金は、明治時代以降も様々な人が発掘を試みましたが見つかる気配はありませんでした。
やがて、徳川埋蔵金のうわさは人々の頭の中から消えてしまい、本格的に発掘作業を行う人がいなくなった時に糸井重里さんは偶然埋蔵金の話しを知り、本格的な発掘作業を考えるようになります。

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写真:YouTube

少なくとも現代の技術を使えば発掘はできるのではないかと考えたことから、テレビ局の方も乗り気になりドキュメンタリー番組として放送するに至ったわけです。
このプロジェクトにかけた金額はおよそ3億円以上のですので、現在では考えられない莫大な金額が一つの番組に投入された景気の良い時代でした。

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まとめ


写真:日経ビジネスオンライン

糸井重里さんはコピーライターや作詞家といった仕事をしており、あまり表舞台には出てこない人ですが、1990年代に何度か放送された徳川埋蔵金のスペシャル番組に出演しており、最新の機械を使い本格的に掘ろうとした人物の一人です。
埋蔵金は結果的に出てきませんでしたが、だれもが成し遂げてこなかった埋蔵金を現代の採掘技術で掘り出そうとするテレビ番組に、多くの男性は夢中になりました。埋蔵金プロジェクトに使ったお金はおよそ3億円になり、現代のテレビ番組では使うことができない予算を投入したほどの壮大な計画だったことがわかります。point 330 | 1

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