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俳優から天気予報まで!幅広く活動している「石原良純」って何者?


石原良純さんは、俳優でありながら、気象予報士でもある、テレビでよく見かけるマルチタレントです。1962年1月15日生まれ(現在55歳)。身長182㎝(身長が高いです)。慶應幼稚舎から慶應一筋で、慶應義塾大学卒(高学歴です)。また、親族がすごい人ばかりで、父は元東京都知事の石原慎太郎、自身は四兄弟の次男で、兄は衆議院議員で大臣を歴任した石原伸晃、弟には、衆議院議員である石原宏高、画家の石原延啓がいます。また、昭和の大スター、故・石原裕次郎の甥でもあります。

 


写真:amazon.co.jp

大学在学中の1982年に叔父の石原裕次郎が社長を務めていた石原プロモーションに入社し、初主演作となる映画「凶弾」で芸能界デビューを果たしています。いきなり映画主演っていうのもすごいです。1980年代のバブル期に三高(高身長、高学歴、高収入)という言葉が流行りましたが、その言葉がぴったり合うのではないでしょうか。デビューのきっかけは、当時病気で入院していた叔父・石原裕次郎を見舞う石原良純の姿をテレビで見ていたプロデューサーが、映画に出ないかとオファーしてきたことからだそうです。しかし、この初主演映画「凶弾」は、全く客が集まらず。2週間で打ち切りになったそうで、現実はそれほど甘くはなかったということでしょうか。point 378 | 1

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写真:talent.thetv.jp

翌年1983年には、テレビドラマ「西部警察PartⅢ」(朝日テレビ)でいきなりレギュラー起用され、さらに翌年、「太陽にほえろ」(日本テレビ)でもレギュラー出演しています。どちらも石原プロモーションが手掛けた刑事ものの人気ドラマでした。

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写真:Youtube

また、当時、宝酒造の「純」という焼酎のテレビCMにも出演していたことが思い出されます。宝酒造は、北海道の豊平川に鮭を呼び戻そうという市民運動「カムバック・サーモン運動」に参画し、「純」の売り上げの一部を寄付していたのですが、「カムバック、サァ~モ~ン、カモン、カモン、じゅ~ん」の歌声をバックに、清流沿いで赤ふんどし姿の石原良純が遡上する鮭を笑顔で応援し、最後に、赤ふん姿で岩場で腰に手を当てて、焼酎を飲み干すというもので、面白いCMでした。今でも動画サイトで検索すると視聴できると思いますので、ご興味のある方はどうぞ。point 326 | 1

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写真:matome.naver.jp

人気ドラマに出演し、順風満帆の俳優人生に思えますが、1989年、27歳で石原プロモーションを退社します。某テレビ番組で、退社した理由を語っていますが、石原プロモーションは、石原裕次郎が映画を作るために立ち上げた会社で、芸能プロダクションではなく、渡哲也、舘ひろし、神田正輝らが入ってはいるが、基本的にはマネジメントをしたいため、独立したということです。石原軍団では、若い頃は沢山食べさせられるため、辛くて、舘ひろしの真似をして、おにぎりの中身だけを食べて、残りを残していたら、殴られたという辛い思い出があるそうです。point 332 | 1

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写真:wap.china.com

1997年、35歳で、難関の気象予報士試験に見事合格します。タレントで気象予報士になった先駆けではないでしょうか。FNNスーパーニュースで12年間お天気キャスターを務めましたが、安藤優子キャスターを怒らせたことで、お天気キャスターをクビになったそうです。ある日、放送中に、安藤から「明後日はどうですか?」と聞かれ、マイクチェックと勘違いして「明後日のこと、何か知りたいのですか?」と返答したのだという。point 273 | 1

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写真:yunknown.com

2002年、40歳で結婚し、一男一女の父となっています。多趣味なことでも有名で、ゴルフ、スキー、テニス、スキューバーダイビングといったメジャーなところから、鉄道、灯台、地図、時刻表、ダムといったコアなところまで幅広く、最近ハマっていることは「穴掘り」。その醍醐味を「自然との一体感」、「生きている地球を感じる」と語っています。これからも、その個性を発揮して、色んな分野で活躍されるのではないでしょうか。point 272 | 1

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