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飛鳥涼のJ-POP界での功績


飛鳥涼さんは、桑田佳祐(サザンオールスターズ)さんや桜井和寿(Mr.Children)さんと並ぶ、日本の音楽界最高ランクの功労者の一人です。しかし、最近の10代・20代の若者の間では、彼の功績を知らない人が増えてきています。この文章では、輝かしい飛鳥さんのキャリアをまとめました。

デビュー時期から1980年代半ばの活動


写真:i0.wp.com

飛鳥涼(ASKA)さんは、1958年福岡県出身の歌手・作曲家です。その後、同級生のチャゲさんと組んで音楽活動をスタートし1979年にフォークデュオ「チャゲ&飛鳥」のメンバーの一人としてデビューしました。そして、デビュー曲から注目を浴びて「ひとり咲き」「万里の河」といったヒット曲が生まれました。しかし、勢いは長く続かず、1980年代前半から半ばにかけてのチャゲ&飛鳥は低迷期に入りました。そんな中、飛鳥さんはこの時期から少しずつ他の人に詩や曲を提供する作曲家としても活動しはじめました。また、1980年代前半からフォークデュオだったチャゲ&飛鳥も少しずつ音楽性が変わり、1980年半ばには、既にニューミュージック系の音楽を発表するデュオへと変貌していました。point 410 | 1

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1980年代後半に光GENJIの作曲家として活躍


写真:s.yimg.com

1980年代前半から、自身の活動のほかに他の人に詩や曲を提供する活動もスタートしていた飛鳥涼さんでしたが、1980年代後半にはその動きが活発化しました。その活動の中で特に有名なものは、社会現象となったジャニーズアイドルグループ「光GENJI」への楽曲提供です。彼らにはチャゲさんとの共作を含めて様々な楽曲を提供しました。まず、デビュー曲の「スターライト(作曲はチャゲ&飛鳥)」、セカンドシングルの「ガラスの十代(作詞・作曲:飛鳥涼)」というバラード調の曲の出来があまりに素晴らしく、様々な世代に受けて光GENJIの人気爆発に大きく貢献しました。そして3rdシングルでは前作までとは違うアップテンポで万人受けするポップソング「パラダイス銀河(作詞・作曲:飛鳥涼)」を提供しました。この曲が空前の大ヒットを記録し、光GENJIは1988年度の日本レコード大賞の大賞を受賞しました。そして、その曲を作った飛鳥さんにも大きな注目が集まるようになりました。point 516 | 1

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1991年にJ-POPアーティストとして再ブレイク


写真:exblog.jp

しかし、1989年・1990年と、自身のグループである「チャゲ&飛鳥」は曲は素晴らしいものの、なぜか売れないという時期が続きました。そんな中、1990年にCHAGE&ASKAへの改名し、1990年秋に発表したアルバムから1991年初めにシングルカットされたのが「太陽の埃の中で」です。この曲は人気ワイドショー番組のエンディングテーマに採用されてオリコン初登場3位を記録し、長い低迷を経て50万枚を売り上げ、久しぶりに大ヒット曲となりました。続いて3月にはASKAソロ名義の「はじまりはいつも雨」がミリオンセラーとなり、飛鳥さんの作曲能力の高さが改めて証明されました。そんな中、夏にはドラマ主題歌の「SAY YES」が約250万枚の大ヒットを記録し、ここからの数年間、CHAGE&ASKAは黄金期を迎え、数々の大ヒット曲が誕生しました。そして、現在ではJ-POPの歴史に残る偉大なデュオとして扱われています。point 495 | 1

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本格的な活動再開が待ち遠しい


写真:livedoor.com

2000年代以降のCHAGE&ASKAは再び低迷期に入り、2009年に活動停止に至りました。しかし、飛鳥涼さんの作曲能力の高さからすると、これからまた新たな名曲を書ける可能性が十分あるため、飛鳥さんを巡る騒動が一段落した今、デュオの復活を望む声は日に日に高まっています。

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