美女殺人魔、阿部定事件
日本中に衝撃を与えた1人の女性がいる。
彼女の名前は阿部定。
阿部定は愛人の男性を殺害した後、男性の局部を切りとって逃亡した。
これは阿部定事件と呼ばれ、当時は事件の猟奇性ゆえに、事件発覚後と阿部定が逮捕されたときに号外が出るほど日本中の庶民の興味をそそった。
美女殺人魔で日本中を驚かせた阿部定について
阿部定は江戸時代から続く畳店「相模屋」の阿部重吉・カツ夫妻の末娘として生まれる。裕福な家庭だったため生活に苦労することなく育った。
阿部定は15歳の時に大学生の男性に出会う。しかしこの大学生の男性は阿部定を強姦したのだ。これが阿部定の初体験となるのだが、これを機に彼女は不良に走るようになった。
家の金を持ち出し不良少年たちと毎夜遊びまわっていた。これを見かねた阿部定の父親は、‘そんなに男が好きなら芸妓になってしまえ’といい彼女を家から追い出し秋葉正義という男に売ってしまう。
阿部定は4年ほど秋葉正義の愛人として過ごした。
その後、芸者や娼婦などをしながら各地を転々として暮らしていたが、ある時知人の紹介で東京・中野にある鰻料理店「吉田屋」の女中として働くようになる。
阿部定は「吉田屋」の店主である石田吉蔵に惹かれた。石田吉蔵には妻がいたが、2人は一線を越えてしまい愛人関係となる。
他人に気づかれぬよう2人きりであっていたが、2人の愛はさらに深まり最後には2人で駆け落ちをする。この2人の強烈な愛は夜の営みにも続いた。互いの首を絞めるなどの行為を楽しんだという。石田吉蔵は阿部定に対し、性交中に首を絞める行為は快感を増すと言ったそうだ。
事件の真相
1936年5月18日、結局取り返しのつかない事件が起きてしまう。
阿部定は腰紐で石田吉蔵の首を2回にわたり締め付け、殺害する。阿部定は包丁で彼の性器を切断した。さらにその血で布団と石田吉蔵の太ももに「定、石田の吉二人キリ」と書き、さらに石田吉蔵の左腕に「定」と刻んだ。そして切り取った性器だけを持ち出し、彼女は逃亡する。
事件から2日後、仮名を使って東京の宿に宿泊していたが、警察に見つかってしまう。阿部定は堂々とした態度で‘阿部定を探しているんでしょ?あたしがお探しの阿部定ですよ’と名乗ったという。
阿部定は警察の調査に対し殺人の経緯が明らかにした。
「私は彼を非常に愛していたので、彼の全てが欲しかった。私達は正式な夫婦ではなかったので、石田は他の女性から抱きしめられることもできた。私は彼を殺せば他のどんな女性も二度と彼に決して触ることができないと思い、彼を殺した」
さらになぜ石田の性器を切断したかは「私は彼の頭か体と一緒にいたかった。いつも彼の側にいるためにそれを持っていきたかった」と供述したという。
美女殺人魔の堂々の態度に日本は驚愕
この異常性のある愛の形が当時の日本を興奮させた。
さらに阿部定のその美貌にも注目が集まったという。阿部定の裁判の日には多くの人が集まり、スーパースター並の人気だったという。
阿部定の出所後にも日本では阿部に対する関心は高く、小説はもちろんのこと阿部定を主人公にした演劇も公演された。阿部定は自身を主人公にした演劇に直接出演するなど、当時の人気ぶりを楽しんでたという。
その後の阿部定の生活と阿部定事件の映画化
その後、結婚に失敗し、起業するがその店も閉店に追いやられ、仮名を使いホテルで働くようになる。
ある日「リウマチを治療し、7月8月が過ぎたら戻る」という置手紙だけを残し失踪した。阿部定のその後は諸説あるが、確かなことは分かっていないという。
更にこの事件は、2000年に映画化され現代でも大きく話題を呼んだ。