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葬儀の参列者が多かった芸能人まとめ、愛されていた証拠ですね


人間の価値というのは、自身の葬式にどれだけ人が集まるか、と言われているほど、葬式というのは大いに意味があります。当然ながら芸能人も同じことがいえますが、今回は今まで葬儀の参列者が特に多かった芸能人を何人かピックアップしていきます。それだけ愛されていたのでしょう。

葬儀の参列者が多かった芸能人まとめ

point 17 |
デイリースポーツ

渥美清

point 78 |
GOSSIP-HISTORY

映画「男はつらいよ」の車寅次郎役が有名な俳優・渥美清。ドラマから始まった「男はつらいよ」シリーズで、27年間、48作に渡って同じ役を演じ続けることとなりました。1996年、転移性肺がんのためにこの世を去りました。享年68歳でした。同年8月に松竹大船撮影所で「寅さんのお別れ会」が開かれ、約3万6000人がお別れに訪れました。彼の演じたキャラクターは今でも多くの人に愛され続けています。point 334 | 1

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石原裕次郎

point 5 |
時事ドットコム

昭和の時代を代表する俳優・石原裕次郎さん。俳優のみならず、司会業やモデルなどマルチで活躍し、実業家やヨットマンとしても活躍していました。「太陽の季節」や「狂った果実」などで人気俳優としての地位を確立し、1963年には石原プロモーションを設立。1987年、肝細胞癌のためにこの世を去りました。享年52歳。葬儀・告別式が営まれた青山葬儀所には3万5000人がお訪れ、昭和の大スターを偲びました。point 257 | 1

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忌野清志郎

point 5 |
BMC(ロードバイク)乗り経営コンサルのマーケティングライフ

RCサクセションなどを筆頭に、多くのバンドやソロとして活動してきたミュージシャンである忌野清志郎。2006年に喉頭癌を発症しますが、病と戦いながら音楽活動を続けます。一時的に回復して、日本武道館でのライブも成功させましたが、2009年に58歳で亡くなりました。2009年5月9日、ファンなどを対象にしたロック葬「忌野清志郎 AOYAMA ROCK’N ROLL SHOW」が青山葬儀所で行われました。弔問客は4万3000人だったとされています。point 309 | 1

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尾崎豊

point 3 |
Gooブログ

1983年12月、高校在学中にシングル「15の夜」とアルバム「十七歳の地図」でデビューした尾崎豊。赤裸々でメッセージ性の強い歌詞と熱量の高いパフォーマンスで、特に若者から圧倒的な指示を獲得しました。1992年、人気絶頂の中で突然の死が報道され、社会的にも大きなニュースとなりました。後日行われた葬儀には、護国寺に約3万7000人が訪れたそうです。point 232 | 1

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坂井泉水(ZARD)

point 10 |
輝の会

「負けないで」や「揺れる想い」、「マイフレンド」など、多くのヒット曲を世に送り出してきたZARDの坂井泉水。性別や年齢を問わず、多くのファンがいました。2007年5月26日、入院していた病院内で階段から転落、そのまま帰らぬ人となってしまいました。このニュースも突然のことで、日本中が驚きましたね。6月26日には芸能関係者向けの、27日には一般向けの音楽葬が開かれ、27日には4万1000人が来場し、故人を偲びました。point 271 | 1

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hide(X JAPAN)

point 12 |
芸能人自宅公開実家場所住所

現在も根強い人気を誇るロックバンド、X JAPAN。元メンバーとして知られ、ソロ活動も行っていたのがhideです。惜しまれながら解散したバンドを経て、今後の活躍が楽しみなアーティストの1人でしたが、1998年5月、自宅で首を吊った状態で発見されました。葬儀に参列した人数は5万人とも言われています。この記録は今でも更新されていないというので、hideの人気ぶりが分かりますね。point 262 | 1

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松野莉奈(私立恵比寿中学)

point 13 |
スポニチ Sponichi Annex

アイドルグループ「私立恵比寿中学」のメンバーとして活躍していた松野莉奈。グループ内での出席番号は9番で、イメージカラーは青でした。2017年2月、致死性不整脈(心室細動または心室頻拍)のため、突然この世を去りました。享年18歳。あまりにも早すぎるお別れは、多くのファンに衝撃と悲しみを与えました。2月25日、パシフィコ横浜で開催された「松野莉奈を送る会」が開催され、約2万人が訪れました。point 274 | 1

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三沢光晴

point 4 |
ORICON NEWS

1981年に全日本プロレスでデビュー後、団体の看板レスラーとして活躍してきた三沢光晴。2009年6月、試合中に受けたバックドロップで頭部を強打し、頸髄離断が原因でこの世を去りました。享年46歳。7月には「三沢光晴お別れ会 〜DEPARTURE〜」が開催され、プロレス関係者やファンなど、約2万6000人が集まりました。プロレスに生涯を捧げた彼は、今でも多くの人に慕われています。point 252 | 1

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美空ひばり

point 5 |
芸能ジャーナリスト・渡邉裕二のギョウカイヘッドロック – HOLIDAY BLOG

昭和を、日本を代表する歌手の1人である美空ひばり。12歳でデビューしてから、ずっと最前線で活躍してきました。「柔」や「真っ赤な太陽」、「悲しい酒」など、大ヒット曲を何曲も夜に送り出しています。元号が昭和から平成に変わった頃である1989年に病魔と戦いながら亡くなりました。同年7月に開催された葬儀には、4万2千人が訪れたそうで、当時の最高記録といわれています。point 279 | 1

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吉田茂

point 3 |
teitotenrei

戦後で混乱する日本を鼓舞し、立て直した政治家の1人である吉田茂。1951年、サンフランシスコ平和条約を締結。アメリカとの安全保障条約を締結させた総理でもあります。その後、内閣総辞職となり政界を引退しますが、その影響力は健在。1967年、大磯の自宅で亡くなりました。享年90歳。葬儀には各界から6500人が参列し、最終的には約4万人の人が訪れたそうです。point 240 | 1

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