今から16年前の2001年9月11日。アメリカ同時多発テロが発生しました。
煙を上げながら崩れていくツインタワー。逃げ惑う人々。そんな、私たちが記憶する9.11テロの裏には絶体絶命の状況で究極の選択をした人々がいたことをご存知ですか?
9.11同時多発テロの概要
2001年9月11日。アメリカの国内便4機がアラブ系のグループにハイジャックされ進路を変更、ニューヨークのシンボルともなっていた世界貿易センター2棟とアメリカ国防総省本庁舎に突入し明らかになっているだけでも3,000人以上の死者を出しました。
ハイジャックされた4機
《ボストン発ロサンゼルス行き アメリカン航空11便》
乗客81人、乗員11人を乗せ午前7時54分に遅延出発。
午前8時14分頃ハイジャックされ、23分には進路を急に南向きに変え、46分にニューヨーク世界貿易センターの超高層ビルであるツインタワー北棟に突入し爆発炎上。
機体の残骸はほとんど原型を留めていなかったとされる。
《ボストン発ロサンゼルス行き ユナイテッド航空175便》
乗客56名・乗員9名を乗せ、午前8時14分に遅延出発。
管制部とアメリカン航空11便のハイジャックに関する交信を交わした後、午前8時43分頃にハイジャックされ、直後にアメリカン航空11便を追うようにニューヨークへ進路を変え、
午前9時3分に世界貿易センタービルのツインタワー南棟に突入し爆発炎上。
アメリカン航空11便と違い、強引な左旋回中に衝突したため、多くの階を巻き込み衝突時に多くの死亡・負傷者を出した。その衝撃は大きな物で、先に衝突した北棟より早く南棟が崩壊している。
《ワシントンD.C.発ロサンゼルス行き アメリカン航空77便》
乗客58名・乗員6名を乗せ、午前8時20分に出発。午前8時50分頃までにハイジャックされ、直後に進路を北向きに変えた後、南へ転回、その後東へ進路を変えた。
最初の進路離脱から3分間は管制塔と機長が交信していたが、その後通信不能となった。
そして午前9時38分、アメリカ国防総省本庁舎に激突し、爆発炎上した。
機体は水平の状態で地面を滑走しながらアメリカ国防総省本庁舎に衝突したものの、高速で建築物に激突・炎上したため機体の残骸はほとんど原形を留めていなかったとされる。
《ニューアーク発サンフランシスコ行き ユナイテッド航空93便》
午前8時42分、乗客37名(日本人1名を含む)(乗客37名中4人はテロリスト)・乗員7名を乗せて、滑走路の混雑で30分遅延で出発。
93便離陸の僅か数分後、アメリカン航空11便が世界貿易センター北棟に激突。
乗客の機内電話からの通報によると、午前9時27分にハイジャックされた模様。
オハイオ州クリーブランド付近で進路を南に変え、さらに南東へ向かった。ワシントンD.C.へ向かうことを管制官に通告、標的はアメリカ合衆国議会議事堂かホワイトハウスであったと推測されている。
午前9時57分、機内電話や携帯電話による外部との連絡で、ハイジャックの目的を自爆テロと認識した乗客が機の奪還に乗り出す。
その僅か数分後、世界貿易センタービル南棟が完全崩壊。
午前10時03分、93便は、時速907kmでペンシルベニア州ピッツバーグ郊外シャンクスヴィルに墜落。
離着陸時の速度の倍以上の高速で地上に衝突したため、機体の残骸はほとんど原形を留めていなかった。
事件の背景、テロの動機
アメリカでは捜査の結果、当時の米ジョージ=ブッシュ大統領は、ウサマ=ビン=ラディン率いるイスラム系テロ組織「アルカイダ」が犯行に及んだものと結論付けました。
このことについてアルカイダ側は肯定も否定もしない立場を取っていましたが、アメリカにおける反アラブ感情の高まりが凄まじかったことなどを受け、アメリカはこの後「報復戦争」に踏み切ります。
現在でも100%アルカイダが計画・実行犯だと言い切ることはできませんが、一部のイスラム過激派の中でテロに及ぶほどの反米感情が少なからずあったこと、そして今現在もあることは事実です。では、どうしてそうした反米感情が育ってしまっているのでしょうか。
①戦後、中東(アラブ系の国が多い)の石油資本をめぐって、アメリカの石油メジャーが大規模な掘削を行い、利権のほとんどを握ってしまったこと
②1990~1991年にかけての湾岸戦争で、サウジアラビア侵攻を狙うイランの抑止力として、イスラムの2大聖地のあるサウジアラビアに米軍を駐屯させたこと
③イスラム法に厳格に従うべきだとするイスラム原理主義組織にとっては、アメリカは金銭と快楽を追求する腐敗した神に背く国だと考えられていたこと
もちろん対立の背景にはさまざまな要因が複合的に重なった結果であり、これだけで語ることのできる問題ではありませんが、歴史的背景を理解することで9.11テロが何故起きたのかについて理解しやすくなるのではないでしょうか。
究極の選択をした人々
私たちが新聞やニュースを通して見た“アメリカ同時多発テロ”は、アルカイダによって飛行機4機がハイジャックされ、そのうち3機が世界貿易センター2棟とアメリカ国防総省本庁舎に突入し、多くの死者・負傷者が出た。こんなところではないでしょうか?
しかし実際には、貿易センターやアメリカ国防総省本庁舎が崩壊するまでの8時間、燃え盛るビルの中で逃げ場を失い途方に暮れていた人々が沢山いたのです。
いつか救助がくるだろうと祈り待ち続けた人もいたでしょう。
どうにかして脱出できないかと試行錯誤していた人もいるでしょう。
一生懸命外部との連絡を取っていた人もいるでしょう。
今回は、そんな絶体絶の状況で自ら飛び降り命を絶った人々に注目してみたいと思います。
有名フォトグラファー:Richard Drew(リチャード・ドリュー)が撮ったThe Falling Man(転落する男)という写真をご存知でしょうか?
この写真の主人公は、崩壊寸前の世界貿易センタービルから飛び降り自ら命を絶ちました。
避難経路が遮断され、煙や高温による苦痛や絶望感から飛び降りることを余儀なくされたのだと見る意見が多く、この日最低でも200人が彼と同じ運命を辿ったとされています。
彼らの遺体は、損傷が激しく身元確認すら難しかったといいます。
後に、当時撮られた写真や映像から、ツインタワー北棟の106階から飛び降りたことが確認され、この階のレストラン「Windows on the World」で働いていたJonathan Briley(ジョナサン・ブライリー)さんである可能性が高いと発表されました。
遺族によると、ジョナサンは喘息を患っており、有毒ガスに耐え切れず自ら飛び降りたのではないかとのこと。
はじめは写真の男性がジョナサンだということに半信半疑だった遺族でしたが、リチャードの撮影した別の写真を見てジョナサンであることを確信したといいます。
遺族によれば、この日ジョナサンはレストランのユニフォームの中にオレンジ色のシャツを着て出勤したというのです。
一枚目の写真ではレストランのユニフォームであるベージュのシャツを着ていますが、落下とともに脱げ、中に着ていたオレンジのシャツが見えます。
アメリカでは、9.11テロでツインタワーから飛び降りた人々をJumper(ジャンパー)と呼び、目撃した人々は口を揃えて「彼らは生きるために飛び降りたようには見えなかった。まるで死ぬ方法を自分で選んだかのようだった」と話したといいます。
ジャンパーの中には、手を繋いだまま飛び降りるカップルや、捲り上がるスカートを必死に抑える女性、顔を手で覆って飛び降りる男性などがいたと伝えられています。
