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【確執?それとも再結成?】ジョニー大倉と矢沢永吉の知られざる関係


2014年11月に肺がんのためにこの世を去ったジョニー大倉ですが、近年では、役者としての活動がメインになっていましたが、矢沢永吉とともにロックバンド「キャロル」で一世風靡したのは周知の事実です。


写真:懐かしいアナログ盤

キャロルは、大物になることを夢見て広島から上京するはずだった矢沢永吉が、なぜか横浜で途中下車するところからスタートします。何となく勘が働いたのか、東京ではなく横浜に住み着いた矢沢永吉が、ある楽器店にメンバー募集の貼り紙をしたところ、真っ先に連絡してきたのがジョニー大倉だったのです。

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日本の音楽業界に強烈なインパクト


写真:YouTube

当時の、ジョニー大倉はすでにリーゼントに革ジャン、いわゆるキャロルのスタイルを作り上げていたそうで、矢沢永吉にそのスタイルを勧めたのもジョニー大倉だったそうです。そこにギターの内海、ドラムスの岡崎が加わり1972年にメジャーデビューしますが、1975年には解散してしまいます。実質、活動期間は僅か2年半という短いものでしたが、日本の音楽業界に強烈なインパクトを残したことは言うまでもありません。

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キャロルの音楽


写真:Yahoo!

キャロルの音楽でいうと、ビートルズの影響を受けたメロディに強烈なロックのビートが絡み合うものですが、特筆すべきは英語と日本語がミックスされ、それを巻き舌で歌唱するするスタイルです。当時の日本ではロックは日本語で歌うべきか、英語で歌いべきかが議論されていた時代でしたが、あっさりとそれを超えてしまったのがキャロルであり、実はこのことを考案したのも矢沢永吉ではなく、ジョニー大倉だったのです。

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写真:ハフィントンポスト

言わばキャロルのコンセプトはジョニー大倉が考え出したものであり、もしも彼がいなければ、矢沢永吉も世に出ていなかったのかもしれません。実際に二人は多くの名曲を生み出していますし、最高のパートナーであったはずです。しかしながら、キャロルが売れれば売れるほど、バンドの周りには色々な人間が近寄ってきます。

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写真:矢沢永吉ONLY

バンドの利益はバンドに還元し、もっと成り上がりたい矢沢永吉と、単純にロックが演奏したいジョニー大倉の間に確執が生まれたとしても不思議ではありません。互いの才能を認めながらも「生き方」が異なることに気づいた二人は解散という決断をするのです。

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誰にも入り込めない固い絆


写真:Yahoo!

その後、ジョニー大倉と矢沢永吉は公の場で共演することはありませんでした、実は、二人は銀座で飲み明かしたことがあることを生前のジョニー大倉は語っています。1983年頃、ジョニー大倉が「戦場のメリークリスマス」などに出演して、俳優として頭角を現し始めた頃のことですが、偶然、都内で出会った二人は、矢沢永吉の行きつけのお店で、ジョニー大倉がギターを弾いて矢沢永吉が歌い、そして飲み明かしたそうです。やはり、二人には誰にも入り込めない固い絆があり、矢沢永吉は何も語らないことで、その絆を大切にしているのですね。point 328 | 1

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